UoPeople4コース同時受講初挑戦、その最中に祖父を見送ったこと、そして、人生で初めて大学に通い始めて1年の今改めて思う大学生をすることの意味

UoPeopleのTerm3が終わりましたね。みなさんお疲れさまでした。

私は、今タームで初めての4科目同時受講というものをやってみて、なんとか無事4コースとも単位を取りましたが、大変だなと思ったので、このTerm3を通じて感じたことの記録を残しておきます。

この記事は主に4科目受講で大変だと思ったことと、その最中にあった祖父の葬儀についてのこと、つまりTerm3の間に感じた自分の感情についてフォーカスを当てたもので、UoPeopleについての新たな情報などはなにもないただの「日記」ですので、UoPeople情報を求めている方にとっては得るものはないと思います。コース内容がどうだったかということについては、また別の記事にまとめたいと思っています。

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UoPeople、4科目同時受講をなぜやってみたか、どうだったか

UoPeopleは1つのタームで0〜4つのクラスを受講する事ができる(これまでの成績に応じて、また入学直後かどうかで上限は変わる)。

私はUoPeopleに入学したときからずっとフルタイム大学生をしているので、大学生活と何かを両立させる必要というのはなかった。働きながらあるいは子育てされながら受講されているUoPeopleの先輩方の姿を見て、「働きながらあれだけのことを成し遂げている方がたくさんいらっしゃるのだから、他に何もしていない私は1〜2コースだけ受講しているなんてなんか甘えてる気がする。早く4コース受講できるようになりたい」とちょっと思っていた。

今思えば別に人々の学ぶペースなんてそれぞれなので何も恥ずかしいなんて思う必要はなかったはずなのだけど、なぜだかそう思っていた。というか、自分以外の方がそうしていても何も不思議なことではなく個人の自由にすればいいことだと思えるのに、自分のこととなると自己肯定感がまったくなく、「無職なんだから今のうちに取れるだけコースを取らなきゃだめだ」って思ってしまっていた…。そのときは、ちょっと思い詰めていたなと思う。

そして、初めて4コース受講が可能になったのがTerm3だったのでそれをやってみた。

もうちょっと前向きな気持ちもあって、「最初から4科目受講がうまくいかなくても、とりあえず1回試してみることに意味がある」とは思った。複数科目のスケジューリングとか勉強の進め方は何回もトライすることで洗練されていくと思ったので、最初からスムーズにうまくいくと思っていたわけではなかった。1週目のDropや4週目のWithdrawalも視野に入れての4科目選択だった。

しかし実際に始めてみるとDropやWithdrawすることもなかなか決断できないものだった。とくにWithdrawalは、最初の3週の課題を提出してから決断するので、そこに投資した時間がもったいないように感じられてしまって決断できなかった。いわゆる損切りというか、そういうことの見切りが自分は下手だったかもしれないと思った。

DropやWithdrawalも視野に入れて始めたはずなのに、いざ初めて見ると途中でDropやWithdrawしてしまうのは悔しい、最後までやりきりたい、と少し意地になってしまって、思うように勉強の成果が残せなかったのに無理に続けてしまった部分もあったように思う。

1コースに1週間だいたい15〜20時間かかると言われているので、そのとおりなら4コースの所要時間は60〜80時間/週となるだろうか。もし定時で週40時間働く会社にいることを考えた場合、1ヶ月4週だとして1ヶ月で80時間以上残業しているのと同じぐらいの拘束時間がある状態と言えるかもしれない。ただこの所定時間というのはもちろん人によって変わってくる。実際にはもう少し余裕があったような気もする。私も毎回きちんと記録しておけばよかったのだが、最初こそ時間を記録していたものの、すぐに記録する精神的余裕がなくなっていってしまった…。

体感としては、前回1ターム2コースを受講していた日は各ユニットの間に明確に「休みの日」というのを取ることができたが、4コースだと丸一日休める日はない、という感じ。休んでしまった週もあったのだけど、それをやると後がどんどん詰まっていき、課題のクオリティを下げて睡眠を削らなければならなかったりした。やはり一週間のうちに1日は休めるぐらいのスケジュールが嬉しいと思った。しかし働きながら学んでいる方々にとっては休みの日は取れない方も多いと思われるので改めて本当に皆さんに対して尊敬しかない…。

 

オンライン大学生の孤独と自律

オンライン大学生はやはり孤独で、自分で自分を律しなければならない。しかしそもそも私は自分を律することは得意ではない、締め切り直前に課題をやってしまうThe procrastinatorだ。

私はUoPeopleに入って初めて大学生になったのだが、「もしかしたら私は今までまともに勉強をしてきたことがない人間だったかもしれない」と気づいた。UoPeopleに入ってから、1日何時間も勉強するようになったが、そもそも大学受験をしなかった私は、学生時代も、社会人になってからも、1日数時間(5時間以上)勉強を何日も(週5日以上を半年以上)続けたことが人生でおそらくなかった。私は今この年になって人生で初めて、自分で自分を律して(しようとして)勉強している気がする。

そしてようやく今になって自分の勉強の癖がわかってきて、自分が唯一Procrastinatorではなくなることができるのは人と一緒に勉強を頑張っているときだということがわかってきた。

4コース受講はやはり大変なので、人といっしょに(動画をつなぎながら)勉強したいと思った。でもやはり、仕事の合間に勉強をしている人たち、社会人学生の人たちに無職の側からそういう声をかけるのは気が引けてしまった。実際には気にしない人もいらっしゃったかもしれないのだけど…。

たまたま、普段使ってる外国語アプリで以前連絡をとったことがある中国人が、最近アメリカの大学院に通うようになったよ!と報告をくれた。専攻を聞いたらデータサイエンスだという。コンピューターサイエンスとは近い分野だし一緒に勉強できそうということで一緒に勉強するようになった。私がプログラミングを教えて、彼女が統計を教えてくれたりした。

それで毎日動画を繋いでもくもく勉強していたのだけど、時差があるので、勉強時間は主に夜だった。だいたい毎日夜22:00〜翌4:00まで一緒に勉強し、昼12時に起きる生活になっていった。昼〜夕方〜夜の時間帯も一人で勉強をすることもあったけど、一緒に勉強できる時間帯のほうが捗っていた。もともと夜型なのでこういう睡眠時間になる日は前から時々あったのだけど、2ヶ月ずっと続けたのは初めてだったかな…。

もちろん毎日一緒に勉強できることは本当にとてもありがたかった。でもやっぱり毎日深夜まで起きていてお昼まで寝ていると周囲の人間とのサイクルが違うのでメンタルにちょっと影響はあったかもしれない。Health comes first(ブログタイトル)と思って生きてたのに、睡眠の側面においては全然健康第一になってなくて、反省しかない。でも、彼女と一緒に勉強ができたおかげで、今期課題を全部提出(特に統計)できたのだろうと思っている。

その彼女や、他の大学に通ったことがある人に自分の大学のシステム(1年5ターム、全教科で毎週問題をただ解くだけでなく時々独創性も求められるようなForum課題あり)を説明すると、「1つの教科の内容を8週間で頭に入れなきゃいけないなんて大変だね、半年ぐらいあってやっと理解できるのに」とか、「1年に5回もFinal Examがあるなんて、常にFinalのことを考えなきゃいけないみたいで大変だね」「毎週独創性が問われる課題を提出するなんて大変だね」と言われた。なるほど私は大学のシステムとは皆こんなものなのかと思っていたが、そういう側面では確かにUoPeopleは大変かもしれない…。海外でもだいたいの大学はsemester-quarterのところが多いようで、5学期(quinmesterというのかな?)はそんなになさそうだ。知らなかった。intensiveにコースをずっと続けてきたのだとしたら、少し自分を褒めてもいいかもと思った…。

しかししばらく4コース同時受講はやめておこうと思った。今回は思うように行かなかったところもあるし改善の余地がたくさんあった。もし今後4コース受講するとしたら、今よりさらに自律的に勉強が進められるようになったときとか、英語力が今より上がったときとか、4教科とも事前知識があったり予習がばっちりなコースにするとかがよいかな。そのように、いろいろ好条件があるときでなければ4コース受講はしばらくしないほうが良さそうだと思っている。

 

祖父のこと

もともと高齢のため施設に入っていた祖父の容態の変化について連絡があったのは2月の上旬のことだった。高齢のためご飯を飲み込むことができなくなってしまって、栄養剤のみを摂取することになった。「いよいよだな」と母が言っていた。「心の準備をしておいて。たぶん3月ぐらい」と言った。わたしはおじいちゃん子だったのでとても悲しかった。まだ亡くなっていない人がいつ亡くなりそうかということについて想像してそのためにスケジュールを組むなんてことはしたくなかったし、できなかった。

以前は、家族であればいつでも遊びに行くことができた介護施設も、コロナ禍以降は施設の担当者の許可が下りなければ会いに行けなくなっていた。しかも会いに行けても「窓越し会話」という形で、直接空気が触れないように大きな窓を隔てて窓越しに向かい合って、電話をかけて会話する形式だった。その形になってからも半年に1回ぐらいはおじいちゃんに会いに行っていた。最後にその形で会ったのは昨年の9月で、おじいちゃんがコロナワクチンを2度打った後大丈夫か見に行って、ワクチン大丈夫だった?と聞いてみたら、おじいちゃんは、「痛くないということはない」と言った。98歳とは思えない、おじいちゃんらしい言い回しだった。

その次の週、直接介護施設の中に入って話をする許可が降りた。母と一緒におじいちゃんの寝室に入っておじいちゃんの顔を見た。おじいちゃんはもう寝たきりで点滴を繋がれていた。おじいちゃんが私の顔を見たとき、眉毛と口が動いた。優しそうな顔になった。母が私に、「おじいちゃん、あんたのことがわかるんだね。私には反応してくれないけど、あはは」と言った(ちなみに母はおじいちゃんの実子だ)。おじいちゃんは目がうるうるしているように見えた。おじいちゃんは声を出すことができなかった。なにか話そうとしていたけど、むせて声にならなかった。それが悲しかった。おじいちゃんの手を握ってあげた。その後、大好きだけどもう飲み込むことができないチョコを介護士さんがなめさせてあげているのを見守った。帰ろうとしたら、おじいちゃんが首を横に振っていて、帰っちゃ駄目って言ってるのかもと思った。でも、もう時間だった。わたしはいつもこういうとき、「さよなら」と言えなくて、「またね」と言ってしまう。でもそれが最期になった。

2月中旬のある日の朝、母に施設から連絡が来た。起きた時母がいなくて、「亡くなった。葬儀の準備してくる」とメモ書きがあった。母はわたしが疲れていると思って一人でいろいろやってくれていた。何もできなかったことを申し訳ないと思いつつ、わたしは課題を進めるしかなかった。母が戻ってきた時、「明日が通夜、明後日が葬儀だ」と言った。しかしその時点で、通夜と葬儀に出たら一部の課題の提出が間に合わないことが明らかになった。少し母と揉めてしまったが、通夜と葬儀に出ないという選択は絶対にしたくなかったので、どれかの科目を諦めるのが最も良いと思った。しかしその時点では諦めるのも悔しかった。

ダメ元で、間に合いそうにない3つの教科のインストラクター(1つの教科は間に合いそうだったので3人)に「祖父を亡くして葬儀があるため課題が間に合いそうにありませんが、締め切りを延ばしてくれますか」と連絡をしたところ、2人のインストラクターが「Please accept my condolences」と言い、締め切りを延ばしてくれた。ちなみにGraded Quizと、Discussion ForumやAssignmentなど他の人とのコミュニケーションがある課題は延ばせず、Learning Journalの提出期限のみを延ばしてもらったがそれで十分だった。本当にありがたかった。一方、1人のインストラクターは「I'm sorry for that. However, I don't think that is a reason for me to extend a deadline.」と言って締め切りを延ばしてくれなかった。しかし3人中2人が期限を延ばしてくれたことで間に合う見通しがついた。

延長を受け入れてもらえなかった科目の課題を全て葬儀前に終わらせ、通夜と葬儀に出席し、葬儀終了後に延長を受け入れてもらった科目の課題を提出した。これでこの週のすべての教科の課題を提出することができた。

この時、葬儀の合間に締め切りを延ばしてもらってまで頑張ったのにWithdrawするというような損切りは自分にはできない、と思い、すべての授業を継続することにした。

葬儀で握ったおじいちゃんの手は冷たかった。しかし、おじいちゃんの顔は安らかだった。おじいちゃんは特に病気も持っていなかったので、医師の診断は「老衰」だった。おじいちゃんの顔を見ながら、親戚みんな(と言ってもコロナ禍なので少人数)で「大往生ってこういうことだな。大往生するとこんなに柔らかな顔になるんだな」と話した。あと少しで99歳になるところだったが、たしかに大往生だと思った。

 

世界情勢

その後の2月24日、ロシア軍がウクライナに軍事侵攻したニュースを見た。戦争が始まってしまった。そのこともメンタルに影響を与えていた。連日ニュースを見ていたが、わたしにできることは限られていたのでできることをやるしかなかった(募金)。

こんなことになるのであれば、もしかしたら、祖父に戦争の話をもっと聞いておけばよかったのかもしれないと思った。聞いたから何かを変えられたかというとわからないけれど、とにかく、もっと聞いておけばよかったと思った。と言っても全然聞いていなかったわけではなく、子供の頃からずっと、おじいちゃんが自主的に話してくれる戦争の話には耳を傾けていた。

おじいちゃんの話によると、20歳ぐらいのころに徴兵され、航空隊に入った後航空の訓練をしていた。航空の訓練は、飛行機が飛ぶ原理から勉強しなければならないため、時間がかかったそうだ。勉強をしているうちに、情勢が変わったのか、その後陸軍に移されて、シンガポールで後方支援をするようになった。後方支援をしているうちに戦争が終わったので生きて帰ってこれた。食料も足りなくて、石ころを舐めて飢えを凌いだこともあった。おじいちゃんが生きて帰ってきていなかったら今わたしはこの世にいないのだ。

おじいちゃんは四男だけど、ひとつ上のお兄さん(三男)は中国で戦死した。そのお兄さん(次男)は生きて帰ってこれたが、何年もシベリアに抑留されていた。それらの話がいままでは遠い世界の出来事だったのに、こんな世の中になって、急にその話が現実味を帯びて感じられた。

戦争反対だ。それは、ずっと言い続けなきゃいけないと思った。日本人として戦争を実体験として経験した世代がもう高齢になってしまっても、その子孫である自分たちが先祖から聞いた話を後世に伝えていかなければと思った。

 

コースを終えてみて改めてどう思ったか、今後どうするか

それぞれの授業の内容についてはまた別の記事を書くのだけど、初めての4コース同時受講の結果としては、前TermよりCGPAが下がったものの、もしかしたらもっと成績が悪くもっと下がった可能性もあったわけで、下げ幅を最小限に抑えられた、と言えるかもしれない。結果については真摯に受け止めなければならないと思う。しかし少なくとも4コースの課題をすべて提出して最後まで終えられたことは、そもそも大学に入学したときには想像できなかったことなので少し自分を褒めてあげたい。

しかし、Withdrawについて、たしかに前述のUnit3の頃は「こんなに頑張ってインストラクターも締め切りを延ばしてくれたのに今更Withdrawなんてできない」と思ったのだけど、たとえインストラクターがこのような事情で締め切りを延ばしてくれたとしても、良い点を取るのが難しいと思ったらWithdrawするという選択をしてもよいはずで、やはりそこはもう少し戦略的に考えても良かったとは思う。やはり、いくら「成績よりも、学びを得ることのほうが大事だ」と思っていても、あまりにも下がってしまったら1タームに取れるコースの数にも影響があるし卒業や就職にも響くわけで、このあたりはバランスを見ていくしかない。この辺りは経験で「続けるべきかやめるべきか」をうまく判断できるようになっていくかもしれないと思う。

 

大学に通い始めて1年

大学のコースを受けはじめて1年。コースを受けはじめる前と今とで考えが変わったところがやはりある。私はこれまで大学生をしたことがなかったので、ずっと学歴コンプレックスを持っていた。とにかく大学生になりたいと思っていた。大卒の人は、大学生になったことが一度もない私とは何かが違うという気がしていた。それが何なのか知りたかった。

もしかしたら「大学を終えられたということがひとつの自信につながっている」から違うのかもしれないと思っていた。わたしはこれまでの人生になにかやり遂げたことがないと思っていたし、実際私はすぐにいろんなことを諦めていたので、何かに対して自信を持てるようなことがあまりなかった。そして「大卒の人は、粘り強く根性強く勉強など何かを続けられる精神があるという部分が非大卒と違うのではないか」と感じていた。

大学に入って1年勉強した今思う。それはある側面ではそうかもしれない。しかし、冷静に考えると、大卒でなくても勉強が得意だったり、なにかに秀でていたり、根性強く何かを続けられる人はいくらでもいる。わたしはこれまで、自分が仕事の成果を高く出せずにいたことを、すべて「わたしは大卒じゃないから成功できないんだ」と大卒じゃないことのせいにしていたと思う。そんな中で大学生になるのは、まるで自分がうまくいかないことに対して使える言い訳を1つ潰してしまったことのようだ。大学に入ってみて、自分の問題は「大学生になったことがなかったこと」ではなくて、自分固有の問題なのだと明らかになってしまった。

でも確かに「大卒の人のほうが勉強に対する粘り強さがある」という傾向は確かにあるように思う(一般論として。全員ではない)。もちろん大卒ではなくても粘り強く勉強出来る人などもいるのだけど、「大学というフレームワークに則って勉強することが勉強への強制力を生み、それが粘り強くものごとに立ち向かう精神を育む傾向にある」とは言えると思う。それはわたしにとっては独学で獲得するのは難しかったことだった。わたしのような凡人ほど、大学(あるいは何か別の強大なもの)の仕組みを借りることで物事を成し遂げる力を身に着けられるようになるのかもしれないと思った。(逆に言うとそれが自力で出来る人にとって、大学という場で学ばなければいけない理由は、学力を他者に証明するため以外にはあまりなく、学力の証明を求めていないのであれば、大学に通わずともいくらでも好きなように学べばよいのだろうと思った。)

わたしは大学に入ってから、CSのコースを4つ、MATHのコースを2つ終わらせたわけだけども、これは大学というフレームワークに沿って勉強したからこそ成し遂げられたことだと思っている。大学という存在があったから途中で挫折したくなる気持ちを抑え、少なくとも課題を提出し単位取得につながったのだろう。今、たしかにわたしが大学に入る前に想像していた「周囲の大卒の人は(傾向として)自分となにかが違う気がする、自信だろうか?」と思った、その自信がまさに、ほんの少しだけ身についたように思う。まだ1年しか経っていないけどそれでも、1年前の自分よりは、数学やコンピューターサイエンスの知識について、多少なりとも自信を持っている。

 

今またおじいちゃんのことを思い出している。おじいちゃんは、勉強が大好きだった。その頃は家が貧しかったのと四男だったことがあり、小学校にしか行くことができなかったけど、クラスでは毎回学級委員で勉強を褒められていたそうだ。その後も独学でいろいろなことを学び続けていたらしいから、まさに「大学(や教育機関)に行かずとも自発的に学べる人」とはおじいちゃんのような人だった。

おじいちゃんは96歳の時に肺炎で入院していて、そのとき私と母も一度覚悟したのだけど、見舞いに行こうとした日に母から電話があって、「おじいちゃん、今日は起きて新聞読んでる。こりゃもう大丈夫だわ」と言っていた。つまり96歳頃まで新聞を読んでいた。頭を使ってものを考えたり、それについて人と話したりするのが好きな人だった。

そんなおじいちゃんが好きだった言葉に「何かを学ぼうとしているうちは老いない」というものがある。調べてみたらビル・ゲイツも似たようなことを言っていた。You don’t really start getting old until you stop learning. と。 *1 おじいちゃんがビル・ゲイツのことをそんなに知っていたとは思わないので、誰かの受け売りなのかもしれないし、もしかしたら歳を重ねて学び続けている人は皆同じ様な境地に至るのかもしれない。

実際におじいちゃんは、自分のことを「老人」だとあまり思っていなかったようで、80代後半の頃に買った本に「平成XX年X月購入。老後に読む」というメモが書かれていたのが見つかった。「この年齢の時にまだ自分は老後じゃないと思ってたんだな」と母と爆笑した(いい意味で)。

わたしはすでに持病を1つ持っているので果たしておじいちゃんほど長生きできるかはわからないけど、それでもせめて健康にできるだけ気をつけて、できるだけ長く、いつまでも何かを学び続けようとする人でいたい。