インターネットに文章を公開するのがこわい

このブログの過去の記事の公開日時からもわかるかもしれませんが、私はインターネットに自分の存在を一切残さないでいたいと思っていた時期がありました。きっかけはもう忘れてしまいました。2013〜2017年くらいの間、私はインターネットの幽霊部員でした。ブログやSNSのような発信はもちろんですが、パブリックリポジトリに自分のコードを残すことすら怖くて、GitHubも「見る専」でした。

よくプログラマを名乗れたものだなという気もしますが、その頃私は新卒時就職のレガシーな会社にいて、GitHubを使わなくても情報発信をしなくても仕事ができていました。地方に住んでいたので勉強会に行くこともなくて、「勉強会でつながりを作りたいからツイッター運用しよう」のような動機もありませんでした。

オタク趣味を持っていましたが、自分の好きなイラストレーターさんなどをフォローして見るだけで、ただただ楽しく生きていました。

 

その時期私は20代中盤で、あの時期に自分の成果物をアウトプットすれば、おそらくこれからの成長を期待してくれる人から多くのフィードバックを得られただろう、まだ若くて柔軟でいられたあの時期にスポンジのようにフィードバックを吸収できていたら、どれだけ成長できたことだろう、といまでもあの時に想いを馳せることがあります。

 

東京に転職して、勉強会に参加するようになって、人とつながりを得たいと思うようになって、2018年に、久しぶりにツイッターに投稿し始めて、2019年からはブログに長文を公開するようになりました。

知り合いからは「文章の公開が怖かったと言ってるけど、最近はよくツイッターでつぶやいているし、もはやその怖さは克服したのだろう」と見えているのではないかと思います。

 

しかし未だにツイートボタンを押す前には何回も文章を読みます。さすがに今では、内容が軽めなツイートは悩んでいる時間も短いですが、議論が生まれそうなツイートはちょっと寝かせて、それでもつぶやきたかったらつぶやいたりしています。そんなことをしているうちに下書きツイートが溜まってしまって今ではツイッターアプリで下書きを開くと表示されるまでがやたら重いです。こんなにあの画面が重いのは私だけなのではと思います。

 

特にブログなどの長文の公開前には何回も何回も何回も推敲して、最初に文章を書き始めてから公開するまでに数ヶ月かかったりしています。推敲した結果公開していない長文がこれまた30記事ぐらいあります。時節を逃してもう公開できないなと思うものもあります。文章を仕事にしてるわけでもなんでもないんだからとっとと公開したらいいのに、公開してフィードバックがどのようなものになるか、否定的な意見を目にしてしまう恐怖などを想像すると公開ボタンを押す手が震えてしまうのです。

 

もう若くないのに、なんだかしょうもないことに人生の時間を使っているなあと思います。人にアウトプットを公開することを恐れない人は、その分だけ早く成長して、その成長で有意義な時間を過ごしていることでしょう。私が一つの記事の文章に対し、文章の推敲や、公開するか否かについて「ああでもないこうでもない」とエンドレスリピートでずっと悩んでいる間に、どんどんアウトプットする人はどんどん先に進んでいってしまうのです。

 

公開ボタンを押す勇気を得るには、「人生の時間は有限である」ということに思いを巡らせることが一番効果的なのかもしれません。

 

最近本当にありがたいことにお知り合いと友人から「私の書く文章が好き」と言っていただく機会がありました。しかも2人から。嬉しすぎて飛び上がって、しばらくニヤニヤしてしまいました。そしてスクショさせていただきました。ありがとうございます。今日はその言葉を胸に、この記事も公開しようと思います。今日は比較的短くまとめられたので、その分だけ緊張も少なくて、きっとこの後公開できると思います。公開するぞ!!!!